2度目の死産(8) 「同じ病院で慈光ちゃんの月誕生日」

 

※これはインスタグラムの投稿の再掲載になります。2019年1月の出来事です。妊婦さんはストレスに感じる内容になるので注意してください。

 

 

晩御飯も夫と一緒に食べた。

 

病院のご飯は美味しくて、赤ちゃんに届けられないのが残念だった。

ご飯の後はしばらく夫と話をして、消灯前に夫は帰っていった。

 

消灯を過ぎてもやっぱり眠れなくて、夜中の夜中の2時くらいまでは起きていた。

でも気持ちは穏やかで、前の時とは違って泣いたりもしなかった。

声には出さなかったが、テレビを見て(おもしろいね。)とか、インスタグラムのコメントを読んでは(みんな優しいね。)、(お空の上には同じようにお空に行った赤ちゃん達がいるから、行ってもお友達ができるよ。)と赤ちゃんに話しかけていた。

 

 

いつの間にか寝たが、間で何度か起きて、6時には起きてその後は眠れなかった。

 

2日目は7時半に処置が始まった。

呼ばれて待合室に行くと何人か人がいた。

産婦さんもいたが、自分と同じように病衣を着ている人もいて、惨めな気持ちにはならなかった。

 

今日は慈光ちゃんの半年の誕生日であり命日だった。

順番を待っている間、半年前の今頃も病院にいて慈光ちゃんの出産を待っていたなって思っていた。

その時のことを思い出して、なんとも言えない気分になる。

あの時は恐怖もあったけど、産めて、会えてよかった。

 

 

そんなことを思っていると名前を呼ばれて処置が始まる。

 

やっぱり痛い。

終わると「これで明日の朝に陣痛をおこす薬を入れて出産しましょう。」と言われた。

私はてっきり夕方も処置があると思っていたので、もう処置がないと思うとすごく嬉しくなった。

 

(あとは明日まで待って出産するんだ!)

 

 

処置が終わって午前中はゆっくり過ごし、昼前になった時に県外から母親が到着した。

母親から「なんでやろうねぇ。」って言われたけど、「なんでだろうね。」としか答えきれなかった。

午後は母とたわいない話をしたり、母の顔を見て緊張が緩んだのか少し昼寝もできた。

いくつになっても母は偉大だと思った。

お腹や腰はじんわり痛いかなってくらいで気にならなかった。

 

夕方、母親と晩御飯を食べ終えたころ、仕事を終えた夫が来た。

夫と入れ替わりで母は泊まるホテルに戻り、夫と少し話をした。

「明日は朝の7時に薬を入れるから、8時前くらいには来てね。」

「7時くらいには来るよ。」

そんなふうに明日の打ち合わせをした。

 

打ち合わせのあとは明日のためにも夫も早く帰ることにした。

 

「気をつけて帰ってね。事故しないでね。…(夫)も私のところからいなくならないでね。」

これ以上大切なものを失うのは怖くて、何かあれば立ち直れないだろうと思った。

「俺はいなくならないよ。」

そう言って笑って頭を撫でてくれた。

 

 

夫が帰った後は私も明日の出産に備えて早く寝ようと思い電気を消した。

 

それまで眠れなかったのが嘘みたいに、その時はすぐに眠りについた。

 

 

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